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マスターズ市民白書
団塊の世代が切り拓く新しい市民社会
−マスターズボランティアの可能性−
編集:マスターズボランティア白書 編集委員会
発行:大阪ボランティア協会
B5判 156ページ
発行年:2003年
10年後、20年後に「一つの大きな塊となって」社会問題になるであろう団塊世代(ベビーブーマー)。しかし、団塊世代は、厳しさにさらされる一方で、新しい「エイジ・ウェーブ」を切り開き、生き生きした高齢者像を創造する世代でもある。このような団塊世代に焦点をあて、老後に向けた積極的な生き方、すなわち「マスターズな生き方」を進めること、高齢者の社会参加の準備プログラムをどう社会的に用意していくかを考えることが、本「白書」の狙いである。





【解説】

10年後、20年後に「一つの大きな塊となって」社会問題になるであろう団塊世代(ベビーブーマー)。しかし、団塊世代は、厳しさにさらされる一方で、新しい「エイジ・ウェーブ」を切り開き、生き生きした高齢者像を創造する世代でもある。このような団塊世代に焦点をあて、老後に向けた積極的な生き方、すなわち「マスターズな生き方」を進めること、高齢者の社会参加の準備プログラムをどう社会的に用意していくかを考えることが、本「白書」の狙いである。

【目次】
巻頭論文
  団塊世代の社会参加    岡本 榮一
    −過職すれば人生は終わりではない

特集座談会
  団塊の世代はマスターズになり得るか?
    安藤 雄太・中村 順子・松井淳太郎・牧里毎治(司会)

特集論文、実践リポート
  福祉政策作りとシニアポランティア
    −介護保険市民オンブズマン機構・大阪の実践から
     大谷  強
  プロフェッショナルなキャリアを生かすシニアのボランティア活動
    −そのコーディネーションのあり方について、米国の事例から考察する
    妻鹿ふみ子
  団塊の世代が地域でボランティアとして活躍するために
    −ボランティアセンター及びコーディネーターの役割を中心に
    佐瀬美恵子
  新しい自治会の担い手としての団塊世代
    −地域で活躍する熟年ボランティア
    宗田 好史
  団塊世代女性にとっての市民活動
    −ジェンダーの視点から
     金谷千慧子
  IT利用の広がりと新たな社会参加
    −これからのシニアボランティアに期待するもの
    緑川 斐雄

ルポ・団塊世代の市民活動
  小林隆二郎 避難所で暮らす子供たちと思いっきり遊ぶ会代表
  蔦田  夏 ストレスカウンセリング・センター副理事長、関西こども文化協会副理
  坂本  洋 豊中市の市民活動家
  江崎 正和 フェリスモンテ理事・事務長
                   ルポライター=吐山 継彦

資料集
  講義録・マスターズな生き方とは?  倉光 弘己
  先進事例調査報告・米国におけるシニア・ボランティアプログラム 河西  実
  高齢者の社会参加に関する統計データ集
  高齢者の社会参加に関する文献リスト

「マスターズ市民白書」編集委員会

岡 本 栄 一  (大阪ボランティア協会理事長)
笹 部 紀 子  (武庫川女子大学非常勤講師)
筒 井 のり子  (龍谷大学社会学部教授)
早 瀬  昇   (大阪ボランティア協会事務局長)
中 村 恵 一  (関西学院大学大学院)
牧 里 毎 治  (関西学院大学社会学部教授)〈委員長〉
川 口 謙 造  (大阪ボランティア協会事務局主幹)

巻頭論文

団塊世代の社会参加

−退職すれば人生は終りではない

岡 本 栄 一 大阪ボランティア協会理事長

【はじめに】

 過去や未来にこだわるより「現在=いま、ここ」を大事に生きなさい、と教えてもらったことがある。本当にそうだと思ってきたが、古希を過ぎた年頃にもなると、時折その「いま、ここ」に隙間ができて、過去へのこだわりや自慢話しが噴き出たり、ふっと死のおそれが心の底から影のように覗くようになる。

 団塊世代の人たちはどうだろう。若い頃の、懸命に仕事に打ち込んできた時代とちがって、職場の帰途の電車やバス、あるいはベッドの中などで「わたしはこの年になるまで一体何をしてきたのか?」とか「自分の老後は?」といった思いが、ときどき覗くようになる世代ではなかろうか。

 この「自書」は、おそらく10年後、20年後に「一つの大きな塊りとなって」社会問題となるであろう団塊世代(ベビーブーマー)に焦点を当てようとしているが、その人たちだけでなく、それ以前の人たち、またそれに続いて生きる人たちの生き方や社会的なあり方をも含めて、総合的に考えようとする企画である。

 社会的に見たとき、団塊世代にとって大事な視点は、自分たちがどのような社会的状況に置かれているか、20年先には、どのような社会で生きることになるか、といった時代認識ではなかろうか。そこで、まず、トーレス・ギル(F.M.Torres−Gill)の「ニューエイジング」の考え方をとりあげ、そこから団塊世代を考えてみることにする *1)。

1.「ニューエイジング」の時代

 トーレス・ギルは、高齢化の視点からみて、「ヤングエイジング」、「モダンエイジング」、「ニューエイジング」の3つの時代区分ができるという。この3つの区分は、彼独自のユニークさである。それは高齢化そのものが問題にされなかった1930年代までの「ヤングエイジング」、その後、次第に高齢 化の問題が意識されるようになった1930年から1990年までの「モダンエイジング」、そして大量の高齢者の存在を含めた高齢社会が、あらゆる面で大きな問題となる1990年代以降の「ニュー エイジング」の3つの区分である。

 そして彼が言うのは、この第3の「ニューエイジング」こそ、団塊世代(ベビーブーマー)と深く関わる時代 であり、この時代が抱える課題は、高齢化といったことが中心的な社会的な変動となって、「世代間対立」と「多様性」と「長期性」の3つを引き起こ すという。

 誤解をおそれないで説明すると、世代間対立とは、医療や年金など、若い世代が支えるという世代間協力やサポー トの仕組みが、若い世代の負担過剰になり、それが高齢者への不信や抵抗となって現れることによって、そのような社会システムが次第に崩れていく社 会である、とする。

 多様性というのは、高齢化が、民族的・文化的多様化、家族構造やライフスタイルの多様化、ライフサイクルの 多様化、あるいは職業や経済的多様化を進め、ありとあらゆるこのような多様化がニューエイジングとともに噴出する、というものである。

 そして最後の長期性であるが、それはニューエイジングが引き起こすことによる社会保障や医療・福祉サービスの長期化をさしている。平均寿命が長 くなることによって後期高齢者が量的にも増え、長期的な生活保障やケアが求められると彼はいう。

 このようなトーレス・ギルの見解は、 団塊世代を社会的に考える上で大変示唆に富む。このギルの論文を紹介している安立清史は、やがて「日本も団塊世代の高齢化とともに『ニューエイジ ング』の時代が押し寄せてくる」と予測している*2)。しかし、日本も含め、それぞれの国の高齢化の進展のスピードや文化的あるいは制度的な背景の違 いによって、現れ方が異なるのは当然であろう。

 日本の最近の人口統計にも変化が起こっている。高齢者が占める人口比率 は、2000年で17.4%、2017年で27%、2033年で30%となり、そのピークは2050年で、35.7%と計算、従来の統計 を大幅に修正することとなった*3)。この修正には、止まらぬ少子化の進行が背景にある。いずれにしても、団塊世代は、人口に占める20%台から30%台 の高齢者の群れの中心的な構成員となって、ニューエイジングの時代を生き抜くことになる。

2.団塊世代が被る二極化

 これら3つのエイジングをもう少し 日本の状況に引き寄せて考えてみるとどうなるか。最初の世代間対立であるが、日本においてもこれは十分に起こり得る状況にある。年金や医療負担は、 今以上に大きな「荷物」になるだろうし、介護についても、今の福祉サービスシステムでは間に合わなくなる。おそらくますます個人の責任に重点が移り、老後に向けて主体的に準備した者とそうでない者との階層的二極化が鮮明になるだろう。また日本では、世代間排除(Exclusion)が進行し、今以上に大量の自殺者やホームレスの出現が予測される。

 多様性であるが、これは人びとの価値の多様性、サービスの多様性などと関わって、日本では「自己決定」や「自己責任」といった考え方は、アメリカ並みに強調されると思われる。多様性を容認する社会は、60歳で退職するといった退職年齢を神話化させる。 企業でも幹部職は別として、45歳とか50歳で自分に合った新たな仕事を準備するなど、主体的に人生を再構築する人には、いきいきとした第三の人生、第四の人生が約束される確率が高い。 しかしその反面、この多様性は、主体的な生き方の機会を失った人にとっては、冷たい壁となろう。

 三つ目の長期性は、ニューエイジングが長期化するということである。それは、ケアを必要とする高齢者の持続的な出現を意味するが、その一方で元気で創造的な高齢者の多様な量的出現を必然化させる。「バイオ」が一層この時代を後押しすることになろう。この長期化は、おそらく現在の65歳からを高齢者とする年齢を5歳アップの70歳程度に引き上げさせるだろう。社会保障や医療、福祉サービスなどのシステムの維持を長期化させ、それが政治的葛藤を生み、さらに高齢者個人に負担を強いることになる。

 その反面で、家族、企業、マーケット、教育、福祉といった分野で、人類が経験しなかった「高齢社会の文化」を生み出し、高齢者の蓄えたキャリアやそのエネルギーが積極的に生かされる時代になると思われる。紙幅の関係で内容まで立ち入る余地はないが、これは、21世紀の高齢化社会を、否定的でなく肯定的に措いているケン・ディヒトバルトの『エイジ・ウエーブ』とう本の主張にもつながる *4)。

 このように団塊世代は、厳しさに曝される一方で、新しい「エイジ・ウエーブ」を切り拓き、生き生きした高齢者像を創造する世代であるともいえる。 つまり、述べてきたように、この世代は、主体的に生きた者とそうでないものとの生き方の二極化が進行するだろうということである。

3.自己実現社会に向けて

 わたしは、10数年前に「高齢前助走」というキーワードで論文を書いたことがある。退職して「濡れ落ち葉」になるのではなくて、退職前から、退職後 の生き方を準備すべきだ、それは本人のためでもあり福祉の予防にもなる、といった内容であった*5)。

 付け加えれば、退職前、少なくとも 40歳を過ぎた頃から、ビジネスやNPOを立ち上げたり、趣味やボランティア活動など、老後に向けた「準備」をするべきなのだ。若い時から、自分の 職業は職業として遂行しながら、生涯教育の講座に参加したり、ボランティア活動などの社会参加を通じて「高齢前助走」を、40歳過ぎからしっかりやっ た人と、そうでない人とは格段の差が生じる。準備した人は、退職後の「ハードル」を難なく越え、総じて老後を豊かに送るだろうと。この論理は、団塊 世代を考える場合にも十分有効だと思っている。

 人間にとって大事なのは「所属」と「役割」と「人間関係」である。この 3つが重なりあいながら、その人の「アイデンティティ」や「自己実現」を保障してくれるのだ。所属とは、家族とか職場、団体とかグループへの所 属をさしている。役割とは、自己の能力やキャリアを生かせる職場やボランティア活動などを指す。人は役割を通して自己実現をするのだ。役割の喪失 は人によっては死を意味することもある。そして人間関係とは、必要とされたり受入れてくれたりする友人や友人とのネットワーク関係である。

 おおむね、仕事一本でやってきた人の大半は、失業や退職によってこの3つが一時期切断される運命にある。「ニューエイジング」の時代を生きる 者にとっては、おそらくこの3つがより切実になる社会であろう。

 そこで教えられるのは医者と弁護士である。この人連は、所属と役割と人 間関係の3つを社会的、統合的に維持しやすい人たちである。退職ということがないからである。総じて70歳台、人によっては80歳台でも生き生きと仕 事をしている人が多い。この人連こそ「ニューエイジング世代」のモデルなのである。

 このモデルは、普通のサラリーマン であっても、この所属と役割と人間関係を維持するシステムを社会的に用意すれば、その人たちが生き生きした人生を送れることを可能にする。また個 人的にも、この3つを維持し継続する努力(準備)をすれば展望が開けることを示唆している。

 高齢前助走というのは、助走をしつつ「ニューエイジング」に備えることである。所属と役割と人間関係の3つを、仮に退職したとしても、難なくク リアさせ、新たな次の人生を生きるための準備である。わたしは57歳で次の新たな人生を選択した。その時は、少し決断の時期が遅かったかな、という 気がしたが、それまでに準備し蓄えたキャリアを生かすことができた。この場合、3つのうちのどれかの「継続性」がキーワードとなる。しかし、団塊世 代の人たちはどうか。

4.第三の人生への架橋

 大阪ボランティア協会では「マスターズな生き方」、すなわち老後に向けた 積極的な生き方をキャッチフレーズにして、新たなプロジェクトを創りだそうとしている。これは、長年働いてきた第二の人生と、それに続く第三の人 生の間に「夢を架橋するプロジェクト」なのである。つまり予測された「準備の空間」を社会的に用意することによって、次の「ニューエイジング時代」に 橋渡ししようとするのだ。豊かな第三の人生への旅立ちのためのエアーポートの役割である。それは、「待ち」の姿勢ではなくて、積極的に社会参加し、 豊かな生き方を生み出そうとする人達のために、またその人たちと一緒になって創り出そうとするプロジェクトでもあるのだ。

 われわれが強調したいメッセージは、このような団塊世代に焦点をあて、その人たちに向けて、高齢前の社会参加の準備プログラムを、社会的に用意す る必要性である。それには行政や企業の積極的な協力が必要である。それらの協力を得ながら、誰もが社会参加しながら準備できる権利、すなわち高齢 者の自己実現が権利となる社会をつくり出したいのである。

 ニューエイジングの時代の老後を惨めなものとして措く必要はない。退職すれば人生は終わりではないからだ。たとえ80歳になろうとも、十分に働い たり、活動できるシステムをどの人にも社会的・制度的に用意することなのだ。それ以外にいきいきとした高齢者像を変革する手立てはない。このよう な変革と創造に向けて、社会参加をしたり、学習できる機会と場を用意する必要がある。しかも自己実現の場と、その準備のための学習の二つは、別々 なものとしてではなく、連携したものとして用意せねばならない。この人たちの自己実現を権利とし、その実現に向けて新たな社会システムを用意する 必要があるのだ。われわれは先駆的にそれに取り組んでいるにすぎない。

まとめとして

 団塊世代はまぎれもなく「ニューエイジング」を生きる世代である。少し古いが「老年学」では、1960年代に「離脱理論(Disengagementtheory)」と「活動理論(Activitytheory)」という二つの考え方が登場したことがある。離脱理論が、人は老化するにつれて、社会から身を引いていくのが本質的で自然だとする。これに対して、活動理論は、高齢期になっても社会から身を引かずに、社会的に活動しつづけるのが本質的であるとする。述べてきたように、「ニューエイジング」の世代には、「離脱理論」ではなくて、「活動理論」に立脚すべきことを要請している。そこから見れば、離脱理論は敗北の理論なのである。

〔引用文献〕

1)安立清史他編『ニューエイジング−日米の挑戦と課題』九州大学出版会刊、2001年。

2)安立清史他編『ニューエイジング−日米の挑戦と課題』九州大学出版会刊、2001年、12P。

3)『日本の将来推計人口』国立社会保障・人口問題研究所編、厚生統計協会発行、2002年。

4)ケン・デイヒトバルト『エイジ・ウエーブ』田名部昭、田辺ナナ子訳、創知社刊、 1992年。

5)岡本栄一「社会福祉の予防的機能−高齢前助走をめぐって」『聖カタリナ女子大学研究紀要』第2号所収、1990年。

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